やけ酒飲み

わたしは、二十になった頃から、やけ酒飲みだった。

ラジオ

さくらももこって本当にちびまる子ちゃんな声してるんだな。

今日は身体ぶっ壊して一日中寝ており、布団から出る気が全くなかったので、前々から登録しようか迷っていたradikoプレミアムに登録した。月額350円でエリアフリーで全国のラジオが聴けるのだ。いえい。

早速Bluetoothスマホとコンポを繋げて色々聴いてみる。なるほど、ラジオ特有のノイズは全くなく、クリアだ。俺は多少ノイズがある方がノスタルジックで好きなのだが、まあいいや。かがくのちからってすげー。関西や沖縄の番組も聴けるし、ローカル番組のせいで聴けていなかったニッポン放送の番組も聴ける。とにかく便利だ。

ラジオはテレビと違って、気を抜いて聴くことができる。ユースケサンタマリアか誰かが前に、テレビが観れなくなった時期があってラジオに救われたと言っていた。テレビは大衆向けで、安全で、楽しいものだ。大衆に馴染めない、危険な、つまらないものは排除される。そういう表面的な建前に耐えきれなくなった人にとって、ラジオは安息の地になるのだと思う。

自分がラジオを聴き始めたのは確か中2の6月頃だったと思う。ちょうど学校に行けなくなった時。昼頃に起きてAir-G(FM北海道)の洋楽チャートをチェックし、25歳男性の設定でリクエストを送っていた。なんだこのクソガキって感じだ。土屋礼央のオールナイトニッポンを聴くようになってからは完全に昼夜逆転の生活に突入。テレビの中では綺麗なアカペラで有名だった土屋礼央が、ラジオでは下品な下ネタとギャンブルの話をしている。なんだこれすげー面白いぞ。こんなラジオを夜中に聴けるなら学校なんか行かない方がいいと思ったくらいだ。

友達と即興でラジオ番組を作ってMDで録ってみたり、ジングルを作ってボイスレコーダーに吹き込んでみたり、ラジオの思い出は本当に多い。

と、ここまで書いて伝えたいことがよくわからなくなってきた。学校行かなくなって裏の世界に突入し、ラジオに出会ったおかげで変われたみたいにおさめればハッピーエンドになるのだろうが、そんなことはないし、ラジオもそんな扱いは望んでないだろう。実際ラジオのせいで生活習慣乱れてニキビっ面になったわけで、そんなに賞賛できるものじゃない。

それでも一つだけ言えるのは、ラジオは万人の味方だということだ。疲れている時には聞き流せるし、元気な時には盛り上がれる。テレビを観ていて時々感じる「させられる感」がない。笑いたくないのに笑いを強制されたり、泣きたくないのに感動を強制されたりしない。それがラジオの特徴であり効用であると思っている。

それはそうと、ラジオから聴こえる二階堂ふみの声は実にいやらしい。いやらしいなあ。